椹木野衣先生インタビュー(3)

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戦後70年目の節目の年にあたる昨年(2015)8月25日に刊行となった『日本美術全集19 拡張する戦後美術』、1945年から阪神・淡路大震災のおきた1995年までをひとくくりとし、これまでの全集本が積極的に取り上げてこなかったジャンルの作品も網羅した全くあたらしい美術書です。 

その責任編集を務められた、椹木野衣(多摩美術大学教授)先生のインタビュー記事の第3回目です(第1回目第2回目の記事)。

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つげ義春『ねじ式』掲載ページ

今までになかった画期的な一冊である『日本美術全集19 拡張する戦後美術』に収録された作品は、まだまだあります。歴史の隙間に埋もれてしまった作家・作品から、はじめて名前を聞く美術館まで。今回も実に興味深いお話を伺うことが出来ました。 

Tak:作品の配置でこだわった点はありますでしょうか?

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岡本太郎『明日の神話』掲載ページ

椹木野衣:二つある観音開きのページの一つで、宮下芳子の『新宿の目』、つげ義春『ねじ式』を開くと中に、岡本太郎『明日の神話』がきて、次の『太陽の塔』へと続く並びは、ちょっと驚くような流れかもしれません。しかし、あらためて見ると、1968年、69年という、時代の変わり目ならではの不穏な雰囲気が共通しているのが画面から伝わってきます。

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会田誠『美しい旗(戦争画RETURNS)』掲載ページ

Tak:『太陽の塔』だけは、特に知られているので突然変異的な作品と捉えていましたが、こうしてみると自然な流れの中で生まれたのだと実感させられます。紹介の仕方を変えただけで、こうも印象が変わるものなのですね。 

椹木:もう21世紀なのですから、逆にもっと早くこういう組み合わせがあってもよかったぐらいです。

Tak:確かに!それと、なんといっても田中一村の掛軸と会田誠『美しい旗(戦争画RETURNS)』から村上隆『タイムボカン』へ続く観音開きのページが衝撃的でした。

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田中一村作品掲載ページ

椹木:これも今までにはなかった並びかもしれませんが、田中一村が描いた奄美大島は、沖縄がアメリカから返還されるまでは日本最南端だったわけですし、会田誠、村上隆の作品もベースでは日米関係を扱っているので、通じるものがないわけではありません。

Tak:村上隆『タイムボカン』の次には、大友克洋氏のマンガ『AKIRA』が掲載されます。『AKIRA』を読んだことのある人には、このつながりは既視感があるように思えてしまいますね。

椹木:むしろ自然なのではないでしょうか。

Tak:この組み合わせは椹木先生のアイディアなのでしょうか。こうしたことが出来るのは責任編集者として冥利に尽きると思います。

椹木:全体を通じて私のアイディアです。作品の並びは最後の最後まで悩みました。全集の編集委員である山下裕二先生から日本画に関するアドバイスは随所でいただきましたが。

Tak:『日本美術全集19 拡張する戦後美術』には、いままでの美術全集だったら絶対載らなかったような作品なども多く掲載されていますが、その中から何点か印象深いものを教えて下さい。

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山口はるみ『アンスリューム』掲載ページ

椹木:そうですね。たくさんあると思いますが、山口はるみ『アンスリューム』なども載らなかったのではないでしょうか。これは、要するに宣伝のためのイラストと受け取られてきた。しかし山口はるみが先鞭をつけて、こうしたハイパーリアリズムが大衆的に一世を風靡したのも事実です。にもかかわらず、それはファインアートではなくイラストにすぎないと受け取られています。ゆえに、こうした作品は美術館に収蔵されていません。だからこそこういう機会に紹介しなければならないのです。

長岡秀星に関しては、画集『迷宮のアンドローラ』に収載された一点を掲載しましたが、じつはもともと掲載したかった作品が行方不明になっていたために、この作品になったのです。こういったイラストレーションが美術館の収蔵対象、評価対象になっていたら、作品も残っていたかもしれませんが、残念ながら失われしてしまいました。

そんな事例は他にもあります。たとえば、小松崎茂さんの絵の大部分もご自宅の火事で焼失してしまい、悲しいことにもうこの世に存在しません。掲載した『東京大パニック』は、たまたまファンのかたが入手していて事なきを得ました。この図版はこの巻の編集者にそのかたのご自宅まで訪ねてもらい、特別に撮影したものです。絵の上中央に描かれているのは新宿の副都心でしょうか。手前では高速道路が倒れていて、阪神淡路大震災を想起させますね。 

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小松崎茂『東京大パニック』掲載ページ

Tak:たしかに。小松崎茂さんの絵は、来るべき明るい未来だけでなく、こうした部分も含めあらためて見直してみる時代に差し掛かっていることを示唆していますね。

椹木:1979年の時点で描いているのは、ある意味予言的でもあります。この絵も、もとは雑誌のイラストで、その意味では印刷用の版下なわけですが、きちんとサインが入っています。小松崎さんは、もとは本画(いわゆる“ファインアート”としての絵画)を志向していた人なので、挿絵画家になったからといって、印刷されるからといって手を抜くようなことは決してなく、細部まできちんと彩色しています。画集におさめても十分に鑑賞に堪えます。

作品の保存という点でいうと、いまでは現代美術も立派な国公立の施設に入っているから、温度も湿度もきちんと管理され、100年、200年、残っていくわけですが、小松崎茂さんや長岡秀星さんの作品は、いつ散逸してしまってもおかしくない状態で、先に触れましたが、現になくなってしまったものも数多くあります。マンガに関しては、日本の文化を代表する芸術として保存していこうという動きは出てきていますが、それでも原画が散逸しているケースは多いです。プロダクションに戻されているケースもあれば、あくまで版下だからということで出版元から戻らなかったり、廃棄されてしまったり、糊が変色してくっついてしまっていたりと、悲しい状態のものをこれまでも見てきました。

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三松正夫『昭和新山西面火焰孔(珊瑚岩)』掲載ページ

それでもまだ、マンガは国民的な芸術として認められています。ひと知れず、依然として何の手立てもないまま「風化」しつつあるものもあります。たとえば、北海道の昭和新山にある三松正夫記念館などがそうです。

今回のような美術全集への掲載をきっかけに、作品としての価値がある程度担保され、美術館の収蔵対象にしていこうという気運が少しでも高まればと願っています。 

Tak:椹木先生は、実際に三松正夫記念館に足を運ばれたのですよね。

椹木:今回の収録のための撮影で足を運んだのが二度目でした。かねてより館長さんとハガキのやりとりもしていましたので、いろいろとスムーズに対応していただくことができました。

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佐藤溪『富士恵像』『蒙古の女』掲載ページ

佐藤溪は、洲之内徹が芸術新潮でやっていた人気エッセイ「きまぐれ美術館」で紹介されて人気が出て、日本全国の味わいのある風景を描く抒情的な画家として知られていています。こういう『富士恵像』、『蒙古の女』などの肖像画は、洲之内も評価していたのですが、あまりに妖気漂う絵で紹介を遠慮していたので、ほとんど知られていません。これも今回はぜひと考えて掲載しました。これは別府にある佐藤溪美術館という私設美術館に収蔵されていましたが、残念なことに去年の12月いっぱいで閉館してしまいました。

Tak:佐藤溪美術館。初耳です。 

椹木:最初は湯布院に湯布院美術館というのがあって、すべてそこで保管・展示されていたのですが、立ち行かなくなり、別府のもとの自邸に移されたものです。これも完全に個人の方の美術館でした。この二点も美術館に写真がなかったので、特別に撮影させていただいたものです。

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味戸ケイコ『雑誌『終末から』表紙絵』掲載ページ

Tak:遺族のではなく、ひとりのコレクターの有志によって運営されている珍しいケースですね。 

椹木:味戸ケイコも1970年代には一世を風靡した作風の人ですが、いまはあまり知られていませんね。

Tak:ちょっとその辺りのことは疎いのでよく存じ上げていないのですが、当時どのようなかんじで一世を風靡していたのですか?

椹木:70年代に、寺山修司らが仕掛けた投稿文化のブームがあったのですが、その流れを汲むもののひとつに、やなせたかしが編集長を務めていた『詩とメルヘン』という雑誌がありました。そこが主催した第一回サンリオ美術賞に輝いたのが味戸さんのイラストでした。目と目が離れたさびしげな少女の世界は、いま見ても恐いくらいの硬質な抒情をたたえています。その絵の魅力にとりつかれたようなコレクターの方が静岡の三島におられます。ご自身で作られたのが私設のK美術館です。味戸ケイコの主要作はほとんどそこにあります。 

Tak:佐藤溪美術館と同じような成り立ちなのですね。その美術館は今でも存続しているのですか?

椹木:残念ながら、ここも2012年12月に閉館してしまいました。

全集に載せた作品は、彼女の原点とも呼べる『終末から』という、筑摩書房から出ていた雑誌の表紙絵です。これも味戸さんのご自宅を訪問させていただき、残ってているものをいろいろと見せていただきながら選んだものです。やはり写真がなかったので、本全集のために新撮しました。

Tak:『終末から』とは「戦後」を引きずっているようなタイトルですね。

椹木:ちょうどその頃、あさま山荘事件、ノストラダムスの大予言ブーム、『日本沈没』の出版、オイルショックなどがあって、社会が混乱し、急速に明るい未来像が崩れ始めた頃でした。そのような時代に特有のロマン、堕落していくこととか闇の中に沈んでいくことの、逆説的な心地よさを打ち出した雑誌でした。それを野坂昭如、井上ひさし、赤瀬川原平らが応援してエッセイやイラストを寄せていました。味戸ケイコは途中からすべての表紙を描いていますが、最初のこの絵だけは手離さずに持っていて、それを今回掲載させてほしいとお願いしました。じつは、そんな大事な絵なのに突然、編集部に直接宅急便で送ってくださり、あとから編集の方から聞いてびっくりしました。

Tak:私も編集部の方からそのお話し伺いびっくりしました。なんでも絵の鉛筆のてかてかしたところなど、触ったら落ちてしまうんじゃないかと心配しながら扱ったそうですね。

椹木:この絵の黒い部分はすべてベタ塗りではなく、鉛筆で塗りつぶされています。印刷用なので鉛筆で塗りつぶす必要はないのですが、わざわざそのような手間をかけています。つまり、本人のなかでは、あきらかに印刷用ではないのです。発表の場がなかったので、印刷されるかたちで世に出たけれども、本来は一枚の絵として描かれているのです。

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八島正明『放課後』掲載ページ

このように、戦後という時代には、美術の専門家や公的な美術館が従っている基準からはずれている画家がたくさんおり、その魅力にとりつかれて孤独にそれらを守ってきた人もいるのです。そういう絵や人たちが戦後という時代の中で存在していることを忘れてはいけないと思います。それだけの評価や鑑賞に価する作品ばかりなのですから。

ほかにも、たとえば八島正明は、安井賞という、かつては文学でいうところの芥川賞に当たるような賞をとってデビューした画家です。しかし、当時の、まだまだ華やかだった画壇の流れにどうしても馴染めなくて、三重県の田舎町にひきこもって絵を描き続け、今日にいたっています。現在の絵も素晴らしいですが、掲載したのは安井賞を受賞した『放課後』です。これは、いったん画面を黒く塗ったうえで針で削り、白いところを浮かびあがらせています。削るのに使う針は、彼のお母さんが戦中から使っていた針です。原爆で残された人影とも関係があり、戦後の記憶が封じ込められたような絵です。限られた図版のなかで、こうした戦後美術の多様性をどれだけ掬い取れるか。そこがもっとも苦心したところです。

Tak:かといって、こうした教科書には載らないようなアーティストばかりを入れてもだめなわけですからね。

椹木:そうなんです。肝心なのは従来の戦後美術を否定するのではなく、「拡張する」ことですから。

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東山魁夷『年暮る』掲載ページ

Tak:平山郁夫や東山魁夷といった日本画の巨匠も載っていましたね。

椹木:いくら僕が現代美術の専門家だからといって、落とすわけにはいきません。画壇の地位や人気は一端リセットして、一つずつの作品を対等に見て、十分人々の心に響くだろうと思われるものだけを掬いとっていくやりかたを取りました。もちろん僕の気持ちや思いを除くことはできないので、客観的とは言い切れませんが、あくまで個人の責任編集である以上、そこが出発点になりますから。

Tak:石ノ森さんの作品などもまさにそのパターンですよね、石ノ森さんといえば「これ!」(たとえば『サイボーグ009』、『カメンライダー』等々)と思うのですが、『魔法世界のジュン』が入っていますものね。

椹木:そうですね。他のマンガ家の方では代表作が順当に入っているケースもありますが、これは美術全集なので、あくまで一枚一枚の絵や作品が基本です。石ノ森章太郎『魔法世界のジュン』は、彩色や線がとても細やかで、印刷用の絵ではあるのだけれども、本来は絵そのものをみせたくて描いている作品です。今回の全集に入れたいと考えたのは描き手のそういう気持ちが強く伝わってきたからです。

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石ノ森章太郎『魔法世界のジュン』掲載ページ

Tak:赤瀬川原平『復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)』に一見開きを使っているのもすごいですよね。

椹木:赤瀬川原平が貧乏のどん底でお金に憧れて、お金を神経症的に細密に模写した作品です。アイディアだけなら小さくてもよいのですが、小さく見せると版画みたく見えてしまって、そういう迫力が伝わらないと思ったので、まるまる見開きにしました。

Tak:ゆくゆくはマンガやイラストなども美術館などで保管されるようになればいいと個人的には思います。建築模型ミュージアムもこの夏、天王洲にオープンするそうですし。

椹木:そうならなくてはいけないのではないでしょうか。2015年に東京国立近代美術館で「誰(た)がためにたたかう?」というタイトルの、戦後70年にちなんだ、戦争画も含めた収蔵品展示が開かれていました。近美としてはなかなか挑戦的な展覧会だったと思います。しかし「誰がためにたたかう?」というタイトルは、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』のアニメの主題歌「誰がために」からとっているわけで、いわば展覧会の主題なのです。ですが、この展示には石ノ森章太郎の作品は1点も出ていません。近美のコレクションを、石ノ森章太郎の世界観をもとに展望するのであれば、多国籍からなる『サイボーグ009』の戦士たちがいかに「悪」と戦ったのかを作品として展示するなどして、全体と照らし合わせるようにしなければ、見えてくるものも見えてこないと思います。けれども、もし東京国立近代美術館のコレクションに、石ノ森章太郎の作品が入っていれば、コレクションだけでそんな展示も可能なのです。

Tak:展覧会を企画した学芸員は、石ノ森章太郎の作品を美術館が所蔵していないにも関わらず、展覧会のタイトルに引用するほどの重要性を感じているのですね。

椹木:そこはこれまでにはなかったことで、大いに評価できます。言い換えれば、キュレーターの価値観と現に集められてきた収蔵作品とのあいだにギャップができてしまっているのだと思うんです。東京国立近代美術館は「手塚治虫展」などのマンガに関する展覧会を、いち早く開催した美術館ではあるけれども、21世紀になっても旧来通りの収集方針の壁はなかなか打ち破れないようです。

Tak:言い方をかえると、今回の『日本美術全集』は「理想の美術館」なのですかね。

椹木:できれば現実になってほしいですね。

Tak:私はこの本を拝見したときに、この本の内容に即した椹木先生キュレーションの展覧会が見たいなと思いました。

椹木:それこそ僕の理想のキュレーションかもしれません(笑)

Tak:これが50年の間に生まれた作品かと思うくらい幅が広いですよね。江戸や室町時代の作品は残っていないものがほとんどでしょうけど、戦後は作品が残っているからこそいろんなものが俯瞰できて、捉え直すことができるのですよね。

椹木:しかし、それも急速に失われつつあります。でも、今ならまだ間に合うと思うのです。その意味ではこの巻は、過去にすでに評価されたものを全集として後に伝えるというよりも、今後の日本の美術館のあり方に一石を投じるものになればと思っています。

Tak:作品がこの先どうなるかわかりませんから、20年、30年とのんびりしていることはできなくて、今、行動に移すべきですよね。

椹木:この巻を編集しているわずか数年のあいだでさえ何人もの方が鬼籍に入られました(今年の2月19日には合田佐和子さんが逝去)。今まさに私たちは戦後美術の過渡期にいるのかもしれません。

――19巻の次の巻である「日本美術全集20 日本美術の現在・未来」(1996~現在)が先日発刊されました。責任編集は山下裕二先生(明治学院大学教授)ですが、椹木先生にも作品の選定及び論考執筆でご協力いただいております。次回は、20巻についてのインタビューを掲載する予定です。