『日本美術全集』完結記念 山下裕二先生インタビュー(後編)

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『日本美術全集』20巻の完結を記念して、編集委員を務めた山下裕二先生(明治学院大学教授)にお話を伺って来ました。後編では近年変化した日本美術に対する見方、全20巻が完結したことに対する所感についてお聞きします。

Tak:山下先生は講演会等で、もし展示されている作品のなかから一つもらえるならこの作品が欲しい、といったお話をされていますが、『日本美術全集20』に収録された作品でしたらどれを選びますか。

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会田誠『紐育空爆之図』掲載ページ

山下:そうですね。欲しかったけれども買えなかった作品に、会田誠さんの『紐育空爆之図』や山口晃さんの『頼朝像図版写し』などがあります。山口さんの作品は発表当時、今よりもずいぶん求めやすい価格で販売されていました。今でしたらすぐ買っていますね。

Tak:あえて一点を選ぶのは難しいですね。あれも欲しい、これも欲しいという気持ちでページをめくってしまいます。ところで、基本的な質問なのですが、作品を掲載する場合、作家さんには許可が必要なのですか。

山下:もちろん、必要になります。作家に対する許可だけでなく、所蔵者や写真撮影者など様々な許可を得る必要が生じます。20巻に限らず、全巻を通じてしかるべきところに許可を得て作っています。

Tak:特に20巻はご存命の作家さんが多いので、大変だったのではないかと思います。作家さんや所属ギャラリーによっては、この作品ではなくて、別の作品を掲載して欲しいとリクエストしてくる場合もあるのではないですか。

山下:割合からいうとそんなに多くはありませんが、ありましたね。基本的には理由を説明してこちらの希望でお願いしました。

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村上隆「Flower matango(d)」掲載ページ

Tak:自分の作品がこうした立派な全集本に載ったらさぞかし嬉しいでしょうね。

山下:論考(「日本美術の未来のために」)にも書きましたが、ここ20年は、世界的な評価を得た作家がはじめて登場した時代です。村上隆さん、草間彌生さん、杉本博司さん、この三人はいわゆる現代美術の世界において国際的な評価を確立しました。それ以前にそうした人は残念ながら日本では存在しませんでした。唯一の例外が藤田嗣治ですが、藤田はフランスに帰化しており、フランス人みたいなものです。国内では知らない人はいない岡本太郎ですら、国際的な評価はまだまだです。

 ここ20年で、国際的な評価を確立した作家があらわれたことに呼応して、海外で、具体(具体美術協会)とか、もの派とか、日本の戦後の前衛美術の評価が高くなってきています。特にここ数年の具体の評価は異常なほどです。海外で展覧会が相次いで開催され、作品も高騰しています。僕は、この状況についてかなり冷やかに見ています。投機の対象としてマーケットにあおられた結果であって、評価としてずっと定着していくとは正直、思っていません。

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森山大道作品、掲載ページ

Tak:富裕層の人たちのお金が余っていて、絵画が投機の対象になってしまっていますからね。『日本美術全集』19巻、20巻を通して、そうした具体やもの派の作品は、どのように取り上げられたのですか。

山下:19巻に具体ともの派はずいぶん載せています。好き嫌いは別として、当然載るべき作品です。

Tak:世界的な評価という視点でいうと、写真家の森山大道さんとかはどうなのでしょうか。

山下:森山さんはもちろんですが、以前から写真、建築、ファッションの分野では世界で評価されている人が多くいます。ファッションのコム・デ・ギャルソン(川久保玲)、イッセイ・ミヤケ(三宅一生)、建築の磯崎新さん、谷口吉生さん、安藤忠雄さんがご活躍されてから久しいです。さきほど、ここ20年でと言ったのは、現代美術の世界で世界的な評価を受ける人がようやく出てきたという意味です。

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谷口吉生『ニューヨーク近代美術館』掲載ページ

そして、ここ20年は、古美術と現代美術が有機的なつながりを持ち始めるようになった時期でもあります。幕末の絵師である狩野一信の『五百羅漢図』に影響を受けた、村上隆さんの『五百羅漢図』や、『洛中洛外図屏風』からの引用が認められる会田誠さんの『紐育空爆図』などが顕著です。それまでは現代美術と古美術が股裂き状態になっていました。日本美術にこれほど素晴らしい果実があるのに、どうして現代美術の作家はそれに連ならないのかと、僕は長年疑問に思っていました。

Tak:明治維新後の100年間は長かったですね。

山下:戦後がある意味暗黒時代だったわけです。見る方も同様で、古美術と現代美術を両方見て回る人はいませんでした。

Tak:ここ20年で、歴史が書き換えられたのですね。

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村上隆『五百羅漢図』掲載ページ

山下:そう。だから、20年後、30年後に『日本美術全集20』を見て「古臭いな」と思う人が現れてほしいと願っています。歴史は必ず書き換えられるものですから。

Tak:さて、『日本美術全集』全20巻が完結しましたが、全20巻の企画から刊行までを振り返りますと長かったでしょうか、短かったでしょうか。

山下:決まり文句だけれども、長いような短いような。準備段階から約5年もかかっています。『日本美術全集』を出すことが決まって最初におこなったのが全体の編集委員の選定でした。辻惟雄先生、泉武夫さん、板倉聖哲さん、僕、と4人が名を連ねることになりました。辻先生はいつも口癖のように「完結までに僕がいるとは思えないけど」と仰っていましたが、ところがどっこい今でもばりばりお元気です。

Tak:先日、丸ビルで行われた全巻完結記念トークショーでは大胆な発言も飛ばしていらっしゃいましたよね。

山下:今年は生誕300年を記念した大々的な若冲展もあるので、なお更、お元気ですよ。

Tak:泉先生と板倉先生についてもひと言お願いします。

山下:泉さんは、僕が専門とする室町時代より古い時代の、しかも仏教美術がご専門で、仏画の研究では誰もが認める第一人者です。辻先生が東北大学にいらした時代の教え子で、俺が教えたなかで泉が一番できるとよく仰っていました。辻先生は、東京大学に赴任されたとき東大の学生が物足りないと思ったのかもしれません。その東大時代の不肖な弟子が私なわけだけれども。

板倉さんは僕より後輩で、彼は中国絵画史の第一人者ですが、日本美術にも造詣が深いです。『日本美術全集』を作るときに編集委員として中国の専門家がいるというのも、非常に重要なことです。(編集註:辻惟雄先生は「14 若冲・応挙、みやこの奇想」、泉武夫先生は「5 王朝絵巻と貴族のいとなみ」と「11 信仰と美術」、板倉聖哲先生は「6 東アジアのなかの日本美術」の責任編集を担当いただきました)

Tak:全20巻というのは最初から決まっていたのですか?

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山下裕二先生

山下:全20巻であることは決まっていて、内容をどういうふうに割り振るかを考えました。僕の強い意向で、戦後に2巻あてるようにさせてもらいました。

Tak:19巻「拡張する戦後美術」、20巻「日本美術の現在・未来」の構成は最初から頭のなかにあったのですね。

山下:戦争画を一番のメインにする18巻「戦争と美術」を作ることも、歴史の書き換えになると考えていました。

Tak:20巻以外で、書き換えが顕著に進んだ巻があったら教えて下さい。

山下:僕が責任編集を務めた幕末から明治時代前期を取り上げた16巻「激動期の美術」がそうです。特にここ数年来、僕が応援している明治の工芸に力を注ぎました。

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宮川香山(初代)『高浮牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指』掲載ページ(16巻「激動期の美術」より)

Tak:サントリー美術館で陶芸の「宮川香山」展が開催されたり、熊本にある生人形もテレビ番組等で紹介されていましたね。一つのことがきっかけで、いろんなメディアにつながると、今の時代、書き換えの速度も速いですよね。

山下:もちろんそうですね。

Tak:先生が監修された展覧会「超絶技巧!明治工芸の粋」に使われた、「超絶技巧」という言葉がいつの間にか定着しましたしね。

山下:その「超絶技巧」という言葉も、僕が意識的に流行らせたものです。最近嬉しいことに、あちこちで見かけるようになりました(笑)

Tak:つまり、16巻から20巻を通して、明治時代以降の近代美術史を刷新しようと試みたのですね。

山下:また、14巻は「若冲・応挙、みやこの奇想」という一巻です。従来の全集に比べると18世紀の京都画壇で1巻作るのはかなり手厚いです。日本美術ブームを牽引してきたのが若冲であることから、「応挙、若冲」ではなく、「若冲、応挙」としています。

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伊藤若冲『鳥獣花木図屏風』掲載ページ(14巻「若冲・応挙、みやこの奇想」より) 

Tak:これから30年後に18世紀の京都画壇が取り上げられるときに、どうなっているのか興味があります。

山下:思えば、ここ20年というのは、世間の日本美術に対する注目度が飛躍的に高まってきた時代でした。

Tak:そういった意味では『日本美術全集』の刊行は、絶妙なタイミングだったかもしれませんね。

山下:やっと正常化したのですよ。いままで日本人が日本の美術に目を向けてこなさすぎました。明治時代以降、西洋に追いつけ追い越せという時代になって、敗戦によって戦後は、だめ押しのように日本の古美術を見る目にフィルターがかかりました。僕が学生の頃は、「日本美術史を専攻しています」と言うと、ずいぶん変わったことをやってらっしゃるのですね、という反応が返ってきました。それに、美術史専攻のなかでも、西洋美術専攻の方が圧倒的に多かったです。

Tak:たしかに、自分が展覧会を見始めた30年前は、日本美術の展覧会が本当に少なくて、モネ、ルノワール、ガレ、そういったものばかりでした。

山下:料理にたとえるとわかりやすいです。明治時代以降、西洋の料理が入ってきましたが、それはそれで美味しいけれども、和食は決してなくならないですよね。しかも、ここ30年くらいの間に、和食に対する注目度は世界的に高まってきています。それと同じくらい、日本の美術もまっとうに評価されるべきだと思っています。やっと、そういうことに世間が気付き始めたという状況なのではないでしょうか。

Tak:ここ最近の日本美術ブームは、日本人にありがちな海外で流行っているから好きという流れではなく、内から湧き出た感情によって人気に火がついていることが新しいなと思っています。

山下:このブームには、いろんな要因があります。やや、志向が内向きになってきていますし、世情から外国に行くのを控える流れもありますし、インターネットの普及によって今までは重たい本を開かなくては見られなかった図版が、いとも簡単にコンピューターのディスプレイに表示されるようになりました。そういったことも関係しているでしょう。特にインターネットの普及の影響は大きくて、「若冲の絵がすごい」という情報が、瞬時に画像として拡散するわけですよね。2000年に京都国立博物館で開かれた若冲展がちょうどその時期に重なったわけです。そして、日本美術ブームの牽引者になった若冲は、今年、生誕300年記念で大展覧会が開催されることで、そのブームの頂点を迎えるわけですよね。そういえば、僕と赤瀬川原平さんの『日本美術応援団』が出たのも、2000年でした。今になって思うと、いろんな節目ですね。

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ヴァニラ画廊「人造乙女美術館」展チラシ

僕としては、教科書的な書物『日本美術史』も美術出版社から出したし、『日本美術全集』も完結しましたし、一丁上がり、あとは余生を送りたいみたいな気分です。実際還暦が近づいているわけですからね。

Tak:いやいや、先生、形が変われども日本美術は続いていくものですので、これからも「to be continued…」でお願いします。

山下:そうですね。これからはラブドールの仕事とか(銀座・ヴァニラ画廊にて山下先生監修のラブドールの展覧会「人造乙女美術館」が5月22日まで開催中)、楽しい方向に進出したいですね(笑)