ブログ開設から10年、訪れた展覧会の数は3000以上、カリスマ美術ブロガーTakさんインタビュー(2)

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美術ブログ「青い日記帳」の主催者Takさんに『日本美術全集』編集部がお話を伺ってまいりました。前回、チラシや本の整理方法をお伝えすると予告したのですが、話が思わぬ方向に飛び、急きょ予定変更。ブログ執筆のポイントを伺ってまいりました。

――記事を書くときに注意なさっていることはありますか?

Tak:展覧会に行ったよと、ただ紹介するだけではなくて、その展覧会に行ってみたいと思わせることを念頭に置いて書いています。言葉遣いはやさしく、当然、ですます調にしています。私はいつも「巻き込む」という言葉を使うのですけれども、語りかけるように「みんな一緒に行こうぜ」っていう感じで書いていますね。

――批評ではないと。

Tak:そうですね。批評はプロのかたがしてくださるので、できるだけしないようにしています。

――参考になさった作家の文章はございますか?

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西岡文彦『絵画の読み方』洋泉社 1999年

Tak:赤瀬川原平さんや西岡文彦先生(多摩美術大学教授)の本はすごく面白かったですね。赤瀬川さんでは『赤瀬川原平の名画読本』(光文社)、西岡先生では『絵画の読み方』(洋泉社)や『二時間の印象派』(河出書房新社)などが思い浮かびます。

――ブログの読者を増やすために、どのようなことをしましたか?

Tak:最初の頃はトラックバックという自動的にリンクを貼るブログ独特の機能を活用していました。同じ展覧会の記事を書いていらっしゃるかたにトラックバックを送ると、そのブログの記事の下に自分のブログも紹介されます。そうすれば認知度があがりますよね。あとは、ブログ同士のコメントのやりとりで交流していました。

――全員にコメントを返すのですか?

Tak:そうですね。すべて返していました。そこで知り合ったかたで、いまでもお付き合いしているかたがたくさんいます。ただ、最近は事情があってコメントを返さなくなってしまいましたけど。

――facebookも使ってらっしゃいますよね。どれくらい前からですか?

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クラブ・フェルメールfacebookページ

Tak:facebookが登場した頃に自分の名前で登録したのですけど、ちゃんと使うようになったのは、ここ数年ですね。2012年にフェルメールの『真珠の耳飾の少女』(マウリッツハイス美術館蔵)が日本に来たときに、朝日新聞さんと協力して「クラブ・フェルメール」というfacebookページを作ったんです。そのときに、個人のアカウントでもやらないとなと思って活用し始めました。また、「青い日記帳」のfacebookページも作りました。

――どのようにfacebookとブログを使い分けていますか?

Tak:Facebookはあくまでもメモ的なものですね。ジオタグで投稿に位置情報を入れられるので、美術館や観光地など、そのときにいる場所からのダイレクトの投稿が殆どです。それも気分的に乗っている時だけです。

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青い日記帳 facebookページ

実名登録が原則ですし、公開範囲を友人のみに設定してありますからコメントのやりとりもしています。それに対し、ブログはある種「書きもの」です。非リアルタイムであり、ある程度背伸びもして、つまり読まれることを意識して書いています。

――展覧会を見ている最中やそのあとに、ブログ執筆のための準備はなさるのですか?

Tak:メモはとっていますね。小さなノートに書くときもありますが、一番楽なのは展示品のリストに書きこんじゃうことです。いくつか印象に残ったものに丸をつけるとか、感じたことを一言二言書いておくだけでも違います。記憶って、だいたい飛んじゃうのですけれども、メモを見ると2、3日後でも蘇ってきます。

――小さなノートにメモする場合は?

Tak:手帳みたいなもので構わないですから、自分でフォーマットを決めて書き留めておくことが大事かもしれませんね。たとえば、展覧会のタイトル、美術館名、日付、展覧会全体で感じたこと、個々の作品に対して思ったこと、今回見られなかったけれども展覧会から派生して見たいと思った作品などですね。

ノートは人に見せるものではなく自分だけのものなので、表現が多少おかしくても、漢字で書かなければならないところが平仮名でも、雑でも全然問題ないです。とにかく残すことが大事です。行ったら必ずそれを書くということをマストにしておくと良いかもしれませんね、それを書くまでは寝ないとか(笑)

――なるほど。そのようなメモを核にブログの記事を書かれるのですね。

Tak:そうです。展覧会の紹介といっても、好きな作品じゃないとできないので、印を付けて一言二言書いたやつを軸に書いていきます。正直になんでも紹介すれば良いってもんじゃないし、適切な分量もありますから、2、3点紹介できればいいかな~ぐらいの気持ちでいつも書いています。

――ほかに注意なさっていることはありますか?

Tak:やっぱり展覧会は分け隔てなく、好き嫌いなく見ようと意識していますね。

――たしかに、マンガの展覧会や恐竜の展覧会の記事もありますし、ふり幅はありますよね。

Tak:そうですね。どんな展覧会でも見て損になることは絶対ないと思います。

――ブログでは展覧会そのものだけでなく、ミュージアムショップやカフェ、展示ケースなど、美術館をとりまく様々なことを紹介していらっしゃいますよね。

Tak:ショップやカフェはよく利用しています。そういったものがあること自体を知らないかたも多くいらっしゃるので、知ってもらいたいという気持ちから記事を書いていますね。自分が直接お店の人に話を聞いてみたいという好奇心もあったので、ダメ元でお願いしてカフェやショップのインタビューをやりました。音声ガイドやカフェのインタビューにしてもみんなそうです。今度、念願がかなって展示の監視員さんのお話を伺うことになりました。

――普段、喋らない人たちですから気になりますね。

Tak:ほかのインタビューでは「美術史家に聞く」も何回かやりました。さきほど一つの展覧会に行くと他の展覧会の情報が得られると言ったのと同じで、一人のお話をうかがったときに「先生すみません、次に誰かご紹介していただけませんか」とお願いして、人のつながりで拡がっていきました。

――一般のブロガーはなかなかできないことかもしれません。

Tak:かみさんには、いい意味でも悪い意味でも鈍感だからできるんだって言われますね。「普通はお願いするのが恥ずかしいとか、変な人に思われちゃったら嫌だと考えてしまうけど、あなたは鈍感だから自分がやりたいと思ったら猪突猛進しちゃうのよ」って。最近、鈍感力は意識するようになりました。

――内容によって閲覧者数は推移しますか。

 Tak:ここ最近でガっと上がったのは、「ミュージアムごはん」を書いてからですね。これは、ある美術館や博物館の学芸員さんやスタッフのかたに、実際に利用しているミュージアム周辺の食事処を聞くシリーズです。その東博編が爆発的にヒットしました。皆さんが知っている博物館で、かつ皆さん食事場所に困っていたのでしょうね。

美術館に行こうと誘っても興味関心のない人は行かないじゃないですか。けれど、プラスαとして美味しい食べ物を食べたり飲んだりできれば、足を運ぶきっかけになるかもしれないですよね。そこで、美術館に勤めている人に生の声を聞いて、美味しい食を提供するお店を紹介したいと思いました。これも当たってくだけろで、ワードで企画書的なものを書いて各美術館さんに送って、OKをもらったところからお話を伺って書きました。

――美術館に勤めている人にお話を伺うというのが、他にはない新しい試みですね。まだまだ話はつきませんが、続きは次回に回します。Takさんがどのような過程を経て日本美術に興味を抱くようになったのか、そして、今度こそチラシ整理術をお伺いいたします。

(編集見習い・フジコ)

「青い日記帳」開設から10年、訪れた展覧会の数は3000以上、カリスマ美術ブロガーTakさんインタビュー(1)

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――美術ブログ「青い日記帳」は、開設から今年で10年を迎えました。主催者Tak(タケ)さんは、毎日欠かさず記事をアップし(単純計算でも3650本!)、少なくとも3000以上の展覧会をご覧になっています。日々の仕事を抱えながら、そこまでできるエネルギーはどこからくるのでしょうか。今回は『日本美術全集』編集部がTakさんに、お話を伺ってきました。

――展覧会めぐりは子どもの頃からなさっているのですか?

Tak:自分で美術館や博物館に行くようになったのは、大学生になってからのことですね。小さいときは行かなかったです。虫取りをしたり、野球を見たり、普通の男の子でした。美術とは遠い世界にいたかもしれませんね。

――画集が家にあるような環境だったのでしょうか。

Tak:父が出版関係の仕事に携わっていたので、いろんな本が常に家の中にありました。毎週日曜日はお昼ごろまで父と図書館にいて、日本そばを食べて帰ってくるのが習慣でした。

――大学生になってから展覧会に行くようになったのには、何かきっかけがあったのですか?

Tak:ありました。大学の先生が授業で発した一言がきっかけですね。「君たち東京の大学に通っている良さは何だかわかるかね。それは芸術というものが、この町に集まってきていることなんだ。地方ではなかなか接することができない世界中の芸術を、すぐ近くで見たり聞いたりできる。学割だって使えるのだから、行かないのはもったいない」というような話をされました。ちょうどバブルの頃だったので、今よりも多くの海外のオペラやコンサートが来ていましたね。

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「ヴァチカン美術館特別展」(国立西洋美術館、1989年)図録

そのときは、自分は音楽も聴かないしな~とぼんやり思っていたんですけれども、渋谷から浅草まで銀座線に乗って帰っているときに、ふと「そういえば途中に上野があるじゃないか」と思ったんです。そして上野の国立西洋美術館に行ってみました。自分でお金を払って行った初めての美術館です。思いついたらやってみるタイプですし、先生が言っていることだったら試してみようという素直な学生だったのかもしれませんね。

――そのとき何の展覧会をご覧になったか覚えていらっしゃいますか?

Tak:たしか「ヴァチカン美術館特別展―古代ギリシャからルネッサンス、バロックまで」でした。まったく知識もなく、しかも一人で行ったのですが、楽しいと思いましたよ。具体的に何がというのはないのですけれども、片道2時間ぐらいかけて群馬県の館林から渋谷にある大学まで通っていたので、なごめるというか居心地の良い空間だと思ったのかもしれません。

また、学生時代、渋谷にBunkamuraができました。学校から近かったので、渋谷の街で飲んでばかりいるのではなくて美術館にも行ってみようと思いましたね。そこで『ロートレック全版画展』(1990年)を見て、すっかりハマってしまいました。ロートレックが浮世絵の影響を受けていることをはじめて知って、「スゲー、日本すごいじゃん」と思いました。前期と後期に展示が分かれていて、どちらにも足を運んだ記憶があります。

それからですね、本格的に展覧会を見るようになったのは。ただし、興味だけで、まったく知識はなかったので、とにかくBunkamura ザ・ミュージアムさんで開催される展覧会は全部見ようと一人で決めました。

――え!その頃から今までの展覧会を全部ご覧になっているのですか?

Tak:はい。25年間すべて見ていますよ。今はなくなってしまったのですが年間パスポートみたいなものがあって、それを購入していました。そうすると気兼ねなく行けますし、もったいないので好きな展覧会は行くけれども興味のない展覧会は行かないということもなくなりますよね。それで、見るものの幅が広がりました。初めて織部の焼き物を見たのはBunkamura ザ・ミュージアムさんでのことでした。

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「ロートレック全版画展」(Bunkamuraザ・ミュージアム、1990年)チラシ

――ロートレックの展覧会をきっかけに美術館に通うようになったということですが、学生時代はだいたいどのくらいのペースでしたか?

Tak:学生の頃は今と比べると全然行っていなくて、月に一度行けばいいくらいですね。

――現在は1か月に何回ぐらいご覧になっていますか?

Tak:どうだろう、20ぐらいじゃないですか。ピンとこなかったものはブログにアップできないですから、書いているもの以外にもじつは行っているので。

――休日だけで一か月に20回ご覧になるのですか!

Tak:行けちゃうんじゃないですか。金曜日の夜間開館も利用しています。一番多く見ている時期は、よくハシゴしていました。仕事を始めてからの方が美術館に行くことが多くなったのは、一人の時間を過ごせてクールダウンできるからかもしれません。どんな仕事でもストレスはたまりますからね。展覧会会場をさーっと抜けて、ソファーでぼーっとしているときもあります。

――展覧会をご覧になり始めた頃は、まだブログという存在はなかったと思うのですけれども、当時から何かで発信していらっしゃったのですか?

Tak:インターネットができて個人が自由に発信できるようになった時代だったので、それに乗っかってみようという気もあり、だいたい2000年頃、社会人になってからホームページを作りました。フェルメールだとかセザンヌだとか、イヴ・クラインだとか、青色を特徴的に使う自分の好きな画家のことを素人が適当に書いている、そういうページでした。

――その青がきっかけで「青い日記帳」ができたのですね。

Tak:そうです。今言うと恥ずかしいのですけど、タイトルが「Blue Heaven」なんですね。まったくいじってないですけど、今もそのページは残っています。

また、ホームページをやりながら、日記サービスを使って初代の「青い日記帳」を始めました。日記サービスというのは、ブログができる前にあったウェブ上に日記を記録するサービスで、コメントやリンクの機能がない自分のメモみたいなものです。それを使って、展覧会を見に行った日の欄に一言二言感想を書いて残していました。画像も1枚ずつ載せられるものだったのですが、結局サーバーの容量をオーバーしてしまって、現在の二代目「青い日記帳」を作りました。

――ホームページを作っていたときはご自身でHTMLを入力していたのですか。

Tak:そうです。まだダイヤルアップの頃だったので、見よう見まねでやっていましたね。自分でタグを入力したり、ホームページ・ビルダーというソフトを使うこともありました。

――そういったパソコンを使った作業もお好きだったということですね。

Tak:そうですね。映画を見たり、テニスをするのも好きなのですが、パソコンは家にいてできる好きなことだったので、画面に向かっている時間が意外と長かったかもしれませんね。

――展覧会をご覧になってその日のうちにブログの記事をお書きになるのですか?

Tak:すぐ書きたいと思う展覧会と、ちょっと寝かしてから整理したいと思う展覧会があるんです。面白いもので、必ずしも良い展覧会だったからすぐ書きたいというわけでもなくて、なんとなくその日の感覚なんです。曲がりなりにも人様が見る文章ですから、おかしなことは書けないので、少し頭を整理して表現を考えていますね。あと、毎日同じような展覧会の紹介になっても面白くないので、このパターンは昨日書いたからやめようとか、じつは少しずつ変化をつけています。

――1本の記事あたり、どのくらいの時間をかけて書いていらっしゃるのですか?

Tak:時間は限られているので、長いときでも2時間ぐらいですね。短いときは1時間で書いちゃいます。

――Takさんのブログにはきれいな画像が豊富ですよね。画像を集めることも工夫なさっていますか?

Tak:絵を紹介するブログなので、画像はなるべく載せるようにしていますね。以前、個人で好き勝手やっていたころは、いろいろなサイトから画像を集めてくるのも楽しかったんですよ。海外のここのサイトには良い画像がたくさんある、といったことはその時に覚えました。今は内覧会で撮影した写真や広報用画像を入手して使っています。 

――フルタイムでお仕事をなさっていて、ご家庭もあって、やらなければならないさまざまなことがある。そのような状況で毎日欠かさず10年もブログを続けていくことは、大変なことだと思います。どのような動機で続けていらっしゃるのですか。

Tak:さきほどお話したように、教授の一言がきっかけで興味関心がなかった美術が、こんなに面白い世界だとわかりました。ですので、おせっかいかもしれませんけど、みんなに知ってもらいたいという気持ちでやっています。意外と自分で決めたことは続けちゃうたちなんです。このブログをきっかけにいい友人にも巡り会えたし、今回のような機会もいただくことができましたし。やっていてマイナスになることは何もありませんでした。

――もうすぐ開講される、8月2日(土)の朝日カルチャーセンターでの講座について一言お願いします。

Tak:専門分野以外のことを一人で喋るのは初めてなので、果たしてうまくいくのやら。話す本人が戸惑っているので、どんなことがお話できるかわからないですけれども、飽きさせない、寝かせる授業にしないように頑張ります。

立体的展覧会鑑賞術- 「青い日記帳」Tak流

8月2日(土)15:30-17:00

場所:朝日カルチャーセンター新宿

 

――次回は、Takさんが美術館に通い始めた頃から集めていらっしゃる展覧会のチラシや、かさばって苦労する図録の整理術についてお伺いする予定です。ご期待ください。

(第2回目につづく)

 (インタビュー・文/編集見習いフジコ)

『日本美術全集』関係者インタビュー 第四回竹下亜紀氏(後編)

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2014年1月28日に刊行された『日本美術全集』第7巻「運慶・快慶と中世寺院(鎌倉・南北朝時代I)」の編集を担当された小学館の竹下亜紀氏にお話の続きです。

インタビュー前半ではこの巻の主役である運慶についてお聞きしましたので、後半はそれ以外の部分の見どころをお伺いして行きたいと思います。

Tak:運慶とならんで称される快慶についてまずお話を聞かせて下さい。竹下さんは正直なところ、運慶と快慶ではどちらが好みですか?

竹下:迷いますね・・・・。とくに今回、この巻を担当したことで、ふたりへの思い入れがぐっと深まりましたから。でも二人のうちどちらかを選ぶとするなら快慶でしょうか。

Tak:それは以前からですか?

竹下:いえ、快慶のことはこの巻を担当して興味がわきました。それまでは、「運慶と同時代に活躍した仏師」くらいの認識しか持っていませんでしたし、そそられる作品もありませんでした。

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快慶「弥勒菩薩坐像」醍醐寺  掲載ページ

Tak:身も蓋もないですね。では快慶のどの辺に惹かれるようになったのでしょう。

竹下:「見直した」に近い感情なのですが、快慶の造像した仏さまは、観ていて心が落ち着くんです。思わず手を合わせたくなるありがたみを感じるんですね。誰にも同じような気持ちを抱かせる、つまり「最大公約数」的な魅力が快慶仏にはあるように思います。校了まで、何度も何度も校正紙をチェックする過程で、初めて快慶作品をまとめて観たのですが、「やるなあ快慶。こういう当たり前の美をつくるのが難しいんだよね」と彼をほめたくなりました。

例えば、50 快慶作 重要文化財「弥勒菩薩坐像」(醍醐寺)などは、お顔のつくりがみごとにシンメトリーで、安定感があるのです。今夏、奈良国立博物館で開催される「国宝 醍醐寺のすべて―密教のほとけと聖教―」(平成26年7月19日(土)~平成26年9月15日(月・祝))では、ポスターにも使われていますね。私も観に行きたいのですが、この本でしっかり予習してから行きたいと思います。

Tak:運慶以上に謎に包まれているのが確か快慶でしたよね。

竹下:そうなんです。快慶が手掛けた仏像はたくさんあるにも関わらず、運慶に比べ、わからないことが多いんですね。人物像が謎に包まれている。だからこそ想像を膨らませる自由もあるわけで、たとえば同時代のライバル・運慶には複雑な思いがあったのだろうなあ、とか・・・・。

Tak:それは判官贔屓的な?

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「俊乗上人坐像」(重源像)東大寺俊乗堂 掲載ページ

竹下:だって師匠(康慶)の息子(運慶)が弟子仲間にいるんですよ。しかも、天才ときている。快慶仏は日本の各地で発見されていますが、「中央(奈良・関東)=運慶」「その他の地方=快慶」のような、作家の政略構図が頭に浮かんできちゃうんです。江戸時代の円山応挙と長沢芦雪の関係のような・・・・。

Tak:中央と地方。例えば具体的な作品だと?

竹下:東大寺再興を成し遂げた重源の功績を顕彰すべく、寿像(生前につくられた肖像)としてつくられた 26 国宝「俊乗上人坐像(重源像)」を担当したのは運慶だとみられています。

しかし、東大寺や各地の別所の造仏を一手に引き受けていたのは、運慶ではなく快慶でした。重源との関係性でいえば、寿像は快慶がつくるべきだったんです。でも起用されなかった。理由はどこにあるのでしょう。「判官びいき」ではありませんが、こうした好奇心も、快慶を見直すひとつのきっかけとなりました。あ、その理由については、山本先生はこうおっしゃっています。寿像造像は東大寺の一大事業だったので、当時のナンバーワン仏師に依頼せざるを得ない。すなわち運慶になる、と。でも快慶の胸の内を思うと・・・・。

国宝「俊乗上人坐像(重源像)」は現在開催中のあべのハルカス美術館開館記念特別展「東大寺」で公開中です(5月18日まで)。 

Tak:なるほど~そう見ると快慶に肩入れしてみたくなりますね、確かに。さて、この巻は立体物を紹介していますが、その点で苦労したことを教えて下さい。

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運慶「阿弥陀如来坐像」願成就院 掲載ページ

竹下:前回の担当巻が第3回配本「宗達・光琳と桂離宮」でしたので、絵画が中心でした。今回は立体(仏像)を平面で見せる難しさを実感しました。どの角度から撮影された写真を使うか、後背や台座はどこまで入れるべきなのか・・・・写真やデザインは幾度も差し替えを行いました。

Tak:特にこれは見て欲しい!的な仏像はありますか?

竹下:4 運慶作 国宝「阿弥陀如来坐像」(願成就院)は正面からの全体像の他に、衣文の波打つような様子を見てもらいたく、別ページに別角度からのクローズアップ写真も掲載しました。

12 重要文化財「大日如来坐像」(真如苑)と13 重要文化財「大日如来坐像」(光得寺)は共に漆箔で金色をしていますが、12は金色がややくすんでいるのに対し、厨子の中にある13の金色はキラキラしています。見開きで隣同士に掲載し、その違いを読者に目で実感してほしくて、色校正は慎重に行いました。

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「大日如来坐像」真如苑、「大日如来坐像」光得寺 掲載ページ

Tak:国宝「八大童子立像」は一体だけクローズアップ写真が掲載されていますが、これを選ばれた基準は何かあるのでしょうか。

竹下:14~19 国宝「八大童子立像」(金剛峯寺)の6体の運慶仏はそれぞれお顔の表情が違います。とくに眼の表現がすばらしく、できれば全て「全体像&顔のアップ」のセットで掲載したいところだったのですが、紙面の都合上とても無理。そこで責任編集者の山本先生に一体だけ選んで頂いたところ、それが「恵光童子」でした。先生がこの像を何故選ばれたのか、推察しながら見てみるのも面白いと思います。

Tak:他にもこだわりのページはありますか。

竹下: 125 湛慶作 重要文化財「善膩師童子立像」(雪渓寺)の顔のアップと126 「子犬」(高山寺)の写真を一頁上下に配置しました。理由は単純で、顔が似ているんです!これは是非見てください。どちらもじつに愛くるしい顔をしています。作者の湛慶は、子どもも犬も好きだったんですよ、きっと。

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伝運慶「八大童子立像 恵光童子」金剛峯寺 掲載ページ

Tak:確かに似ていますね!というかそっくりです!!これは新発見じゃないですか~どなたか論文書かれていないのでしょうかね。

竹下:まるで私の発見のような言い方をしましたが、構成アイディアは山本先生です・・・・すみません。

その他では「第五章:鎌倉中期のバラエティー」の扉頁に138 「文殊菩薩立像」(東京国立博物館)のお顔のアップを持ってきていますが、この仏像の持つ愛らしさを最大限に引き出す為に、トリミングもミリ単位の指定で山本先生にしていただきました。

印刷が始まるまでのラスト2ヶ月間は、夜中の3時頃までほぼ毎日のようにメールで山本先生とやり取りしていました。先生もよくおつきあいしてくださったなあと頭が下がります。

Tak:わっ!そんなに遅くまで。山本先生は徹底的に細部までこだわる方ですからね~。竹下さんもそうですが、山本先生のこの巻に対する情熱は計り知れないものがありますね。魂の宿った一冊ですね!

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湛慶「善膩師童子立像」雪蹊寺、「子犬」高山寺 掲載ページ

山本先生以外の方も多く解説を執筆されていますよね。

竹下:はい。「第八章:中世の仏堂空間」は、上野勝久先生(前東京藝術大学大学院教授、現在は文化庁)に担当して頂きました。掲載されている解説文は、上野先生のしっかりとしたフォーマットで統一されています。

Tak:解説に独自のフォーマットがあるのですか?!

竹下:まず冒頭にお寺のこと、次に、いつ頃・誰が・どういう目的で建立したのか。そしてサイズやつくり方を経て、最後は、その建物が歴史的にどういう意義を持っているかで締めくくられます。

Tak:(ページをめくりつつ)確かに!驚くほど几帳面に、同じ文体で統一されていますね。字数もほぼ同じではないですか。

竹下:知識がないゆえに、何が書かれているのかちんぷんかんぷん・・・・だから建築の解説文は苦手、という読者も多いと思います。だから用語解説なども加えてはいるのですが、どうしても仕組みについては分からない!興味もわかない!という読者は、最初と最後だけ読んでいただけてもエッセンスは伝わるフォーマットになっているんですね。

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「文殊菩薩立像」東京国立博物館 掲載ページ

そのほか、作品解説をご執筆いただいた大澤慶子さん(文星芸術大学専任講師)、佐々木あすかさん(美術史家)、山口隆介さん(奈良国立博物館学芸部研究員)は気鋭の若手研究者でいらっしゃいますし、奥健夫先生(文化庁)はみなさんご存じのとおりとにかくあらゆる仏像に接しておられ、その経験にもとづく奥先生ならではの原稿と挿図写真を寄せてくださいました。コラムで「耳」について書いてくださった寺島典人さん(大津市歴史博物館学芸員)は、今年2月に快慶作の新発見!? と話題になった大津市新知恩院の木造涅槃像発見のニュースで解説されていた方です。

Tak:美麗なカラー図版のページだけについつい目が行ってしまいますが、後半の作品解説を含めたテキストも必読ですねこれは。体調の悪い中長時間お話聞かせて頂きありがとうございました。(編集部注:インタビューを受けた頃、竹下は花粉症で苦しんでおりました・・・・。)

※エピソード満載の編集後記もどうぞ。

『日本美術全集』関係者インタビュー 第四回竹下亜紀氏(前編)

  • 投稿日:
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 『日本美術全集』第7巻「運慶・快慶と中世寺院(鎌倉・南北朝時代I)」

2014年1月28日に刊行された『日本美術全集』第7巻「運慶・快慶と中世寺院(鎌倉・南北朝時代I)」の編集を担当された小学館の竹下亜紀氏にお話を伺って来ました。

前回、一坪泰博デスクにお話を伺った『日本美術全集』第16巻「激動期の美術(幕末から明治時代前期)」では、決してメジャーと言えないばかりか、現存作品が僅かに数点しか確認されていないような美術史の主流から外れてしまった作品・作家の多くが掲載されている異色の一冊でしたが、今回の第7巻「運慶・快慶と中世寺院」ではそれとは逆の教科書にも必ず載っている国民的仏師・運慶を大々的に取り上げています。

こうした巻の場合はこれまで通りにオーソドックスな仏像を紹介してさえいれば合格点をもらえそうな気がしますが、あにはからんや、メジャーはメジャーなりに大変なことが多くあるようです。確かに皆さんそれぞれ運慶に関しては、それなりの知識をお持ちでしょうからね。それにも関らず、今回の『日本美術全集』ではその運慶が造ったであろう仏像を今までのどの本よりも多く認定し掲載しているとても挑戦的な一冊となっています。

編集を担当された小学館の竹下亜紀氏に苦労話を含め色々と質問をして来ました。(この出前ブログでは初の女性編集者の登場です!)

Tak:しょっぱなからやはり運慶についてお話を聞きたいと思います。今回の『日本美術全集』では運慶仏がこれまでのどの本よりも多く掲載されているそうですが、その具体的な数字を教えて下さい。

竹下:かつて弊社が刊行した、初版(1968年発売)『原色日本の美術 第9巻 中世寺院と鎌倉彫刻』(小学館)で、運慶作とされているのが6体でした。それから45年が経過してこのたび発売した『日本美術全集 第7巻 運慶・快慶と中世寺院』では、運慶作(またはそう考えられる)像を47体としています。6体から47体・・・・この大きな変化は、45年間が「発見の歴史」でもあったことを示していると思います。

Tak:6体→47体というのは驚くべき数字ですね。

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「大日如来坐像」真如苑 掲載ページ

竹下:そうですね。例えば皆さんもよくご存じのクリスティーズ(NY)のオークションにかけられ一躍話題となった重要文化財「大日如来坐像」(真如苑)も近年になって表舞台に登場した運慶仏のひとつです。この45年間、運慶仏の研究が格段に進んだのですね。具体的にいうと、像内から取り出した納入品に書かれた銘記がわかったことが大きい。またX線透過撮影・ファイバースコープといった科学的調査も可能になりました。そういったデータが蓄積され、そこから単に「いつ」「誰の依頼によって」「誰が」つくったのかがわかるだけでなく、仏像の役割や機能、ひいては古代の仏像の機能を考えるヒントにもなりうるという・・・・ああ、私が話すとこんがらかってしまうのですが、責任編集を務められた山本勉先生(清泉女子大学教授)のテキストを読めば、クリアにそのあたりも理解出来ると思います!

Tak:一章分まるごと運慶ですよね。

竹下:はい。その47体の運慶仏をまず全てカラー図版で掲載し、この巻の目玉としたいという思いは、最初に山本先生に責任編集をお願いしたいと研究室に伺ったときから思っていました。3年くらい前でしょうか。(「第一章 運慶」)

Tak:それにしても思い切りましたね。

竹下:何を持って運慶仏とするのか、については、山本先生の中で明確な線引があるわけです。たとえば、カラー図版ページの図版キャプションに「(作者)運慶」と書かれてあるものと、ないものがある。ないものでも、作品解説原稿を読むと、運慶作と考えて間違いないと書いてある。この違いは何に依るのか? それが「造像銘記」なんですけれども、これに関しては先日行われた山本勉先生の講演会で示されていたことを参照して下さい。

【運慶作品4段階の認定レベル】

A…作品自体に造像当初の銘記あるいは像内納入品があり、そこに運慶あるいは運慶工房の仏師の名が記されている作品。

B…同時代の確実な資料に運慶作品として記述されているものに明らかに該当する作品。

C…後世の資料に運慶の作であると記されていて作風もそれに矛盾しない作品。(伝運慶作)

D…作風・構造技法や伝来状況に関する現代の美術史研究により運慶作と考えられる作品(「運慶作」とは表記しない)

『日本美術全集』刊行記念企画 第5弾 文化講演会「運慶のまなざし-全作品47体と眼の表現」(山本勉)

http://bluediary2.jugem.jp/?eid=3509

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 「十二神将立像」静嘉堂文庫美術館、東京国立博物館 掲載ページ

Tak:この本で初めて掲載された運慶仏もありますよね? 

竹下:重要文化財「十二神将立像」(静嘉堂文庫美術館、東京国立博物館)12体すべてがカラーで掲載されるのは、この本が初となります。決して大きい像ではありませんが、ところどころとても奇麗に色が残っていることが見て取れます。

Tak:第一章の最後に掲載されている仏像も小さなものですよね。以前、金沢文庫で開催された「運慶展」で拝見しました。

竹下:重要文化財「大威徳明王像」(光明院)は、像内の文書が開封され(2007年)、そこに「建保4年に源氏大弐殿の依頼により運慶がつくった」と書かれていたことから運慶作と確定し、「(作者は)運慶」と図版キャプションにも書けるようになりました。その文書の該当箇所も、同じページに写真を載せました。

Tak:運慶のお話はきっと幾らでも尽きることなく出来るでしょうが、一旦ここまでとして、今回の本の全体の構成を教えて下さい。

竹下:まず運慶、快慶の仏像を1,2章に持ってきて、以下は慶派の仏像やそれ以外の派の仏像、そして最後にそれらの仏像が収められているお寺(お堂)の建築を紹介する構成としました。

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「大威徳明王像」光明院 掲載ページ

第一章:運慶

第二章:快慶

第三章:南都復興の主役たち

第四章:運慶の子弟

第五章:鎌倉中期のバラエティー

第六章:蓮華王院本堂

第七章:鎌倉後期・南北朝時代の諸相

第八章:中世の仏堂空間

 

Tak:この章に注目して欲しい!というところありますか?

竹下:「第六章:蓮華王院本堂」は本巻の大きな見どころのひとつです。当時、中央造像界を独占していたのは「慶派」、「円派」、「院派」という3つの仏師クループでした。この3派の(おそらくはトップクラスである)仏師が“たくさんの仏像をつくる行為が善行になる”という貴族の思いを背景に、腕を競い合った場が蓮華王院本堂なんですね。このいかにも王朝的な、大規模な造像はこれ以降なかったわけですから、まさに王朝文化のクライマックスといえるでしょう。章のサブタイトル「王朝仏像史の最後の光芒」は山本先生がつけられたのですが、案をいただいたときは震えましたね! 

164 湛慶 重要文化財「千手観音菩薩立像 40号」

165 隆円 重要文化財「千手観音菩薩立像 504号」

166 院承 重要文化財「千手観音菩薩立像 493号」

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湛慶 「千手観音菩薩立像 40号」、隆円 「千手観音菩薩立像 504号」、院承 「千手観音菩薩立像 493号」すべて蓮華王院本堂 掲載ページ 

Tak:三十三間堂へは何度も足を運んでいますが、これらの違いを意識して拝見したことありませんでした。

竹下:千体千手観音菩薩立像はその3グループの仏師が分け合ってつくっているのですが、中からグループの特徴がよくわかる三体を見開きで並べて掲載しています。かなりマニアックな鑑賞方法だと思いますけれど、こういう視点であのお堂に行くと、また新たな楽しみ方ができると思います。

後編へ続きます。)

『日本美術全集』関係者インタビュー 第三回一坪泰博デスク(後編)

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前半では編集にあたってのおおまかなお話をお聞きしましたので、後半では具体的に掲載した作品について伺いました。(『日本美術全集』のページをめくりつつ)

Tak:激動の時代「幕末~明治前期」に誕生した174件もの絵画、工芸品を掲載していますが、これまた近年注目されている新版画が見あたりませんが…

一坪:これまでの全集でしたら一巻で全て紹介出来ましたが、これまで美術史の文脈では取り上げられてこなかった作品を紹介する関係で2巻に分けました。つまり今回の16巻「激動期の美術」で扱わなかった新版画などは17巻「前衛とモダン」で取り上げることになっています。

Tak:なるほど。確かにこの16巻「激動期の美術」ではその多くが知らない作品、もしくは馴染みの薄い作家ばかりですね。

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藤雅三「破れたズボン」掲載ページ

一坪:さすがに、高橋由一や狩野芳崖らを載せないわけにはいきませんでしたが、2008年にアメリカで発見された藤雅三という作家の「破れたズボン」(1888年) などは、実際に誰も観たことのなかったまさに埋もれた作品です。フランスのサロンに日本人画家として初めて入選した作品であるにも関わらず、日本での知名度はほぼゼロに近いものがあります。

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左:安本亀八「相撲生人形」、右:松本喜三郎「谷汲観音像」掲載ページ

Tak:そうした画家を研究されている方もいらっしゃるのですね。

一坪:今回の全集では23名の方に解説を担当して頂きましたが、藤雅三「破れたズボン」一点だけのために、愛知県美術館副館長の高橋秀治さんにお願いし執筆して頂きました。

Tak:今の時代、メールで原稿のやり取りが簡便に出来ますからね。

一坪:そう思われるかもしれませんが、それだけでは上手く行かないものです。私は人間関係も大事だと考えているのですべての先生方に直接会いに行き、原稿の依頼をしました。そうすることにより、後のメールや電話でのやり取りもお互いにスムーズに運ぶものです。顔を知らない方とではどうしても齟齬が生じてしまいます。

Tak:なるほど~行かれた先で印象に残っている場所はありますか?

一坪:熊本ですね。松本喜三郎「谷汲観音像」(1871年) や、この巻の函にもどーんと使用した大迫力の安本亀八「相撲生人形」(1890年)の解説を書いていただいた熊本市現代美術館の富澤治子さんにお会いしたあと、熊本の奥の方まで行ってみました。水路の通った石橋・通潤橋で有名な山都町では、「八朔祭」という祭りの時に棕櫚や杉の葉などで作った人形「大つくりもん」が街中を練り歩くそうなんですが、これが生人形のルーツと指摘する研究者もいるようです。それで、通潤橋を見渡せる公園に、いまや知らない人は「くまモン」の巨大な「つくりもん」が置いてありました。その当時は「くまモン」もまだブレイク前で。

Tak:なるほど~そうすると生人形は、農耕儀礼から発達したのかもしれませんね。そして、その先に「くまモン」もいると思うとまた見方も違ってきますね。

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国華余芳「正倉院御物之部」掲載ページ

一坪:文化史、民衆史、政治史といった一見バラバラなもを一本にし、美術史で展開してみるとこれまでの明治という時代のイメージが大きく変わって来ることを、この巻を担当してあらためて強く感じました。

Tak:一坪さんのおススメ!という作品はありますか。

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左:並河靖之「四季花鳥図花瓶」、右:林喜兵衛「百華文七宝大壺」掲載ページ

一坪:一点あげるとすると国華余芳「正倉院御物之部」1881年 でしょうか。紙幣を印刷するために当時飛躍的に向上した印刷技術を用いて作られたものです。この作品もなんと大蔵省印刷局により制作されました。

Tak:国家戦略としての文化事業がなされていたのですか?

一坪:そういう見方もできます。印刷原版を国産化する意図があったのでしょう。当時の社会情勢がどうであったのかを本来なら念頭において観て行かねばならぬことが分かります。その代表選手が「正倉院御物之部」なのです。

Tak:国策として描かせたとなると太平洋戦争中の所謂「戦争画」しか思い浮かびませんでしたが、こうした文化財保護の側面から制作されたものがあったという新鮮な驚きがあります。

 一坪:じつは、自分はもともと美術は専門ではなく、考古学出身なので歴史的背景がことさら気になってしまうのです(笑)

Tak:その他で力を入れた作品を教えて下さい。

一坪:第四章の「極まる超絶技巧」です。特に林喜兵衛「百華文七宝大壺」や濤川惣助「七宝富嶽図額」などは作品が持つツヤの雰囲気を印刷物で表現するのにとても苦労しました。

Tak:写真で立体物の素晴らしさを伝えるのは難儀ですよね。

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「三楽亭」掲載ページ

一坪:正三角形の茶室「山楽亭」は、なかなか写真では上手く表現できず苦労しまた。最大限努力しましたが、補足用に平面図も掲載しました。

Tak:新たに撮影しなおした作品も多いようですね。

一坪:はい。越後のミケランジェロこと石川雲蝶の作品がある新潟の西福寺開山堂まで行ったときは11月にもかかわらず雪に降られ、極寒の中(お寺の中は暖房ないですからね…)撮影しました。あまりにも寒かったので撮影枚数も普段よりも少なめでした(笑)

Tak:お話を伺っているとまだまだ幾らでも制作秘話が出てきそうで名残惜しいのですが、この辺でまとめに入らせて下さい。最後に『日本美術全集』第16巻「激動期の美術(幕末から明治時代前期)」を担当された立場からひと言お願い致します。

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石川雲蝶「西福寺開山堂彫刻」掲載ページ

一坪:山下先生はじめ皆さん良い人ばかりで楽しみながら仕事が出来ました。他巻の編集者に申し訳ないほどです。「激動期の美術(幕末から明治時代前期)」では、これまでの明治時代の単純なイメージを、ある意味根底から覆す一冊になったと自負しています。前述しましたが、社会情勢があって初めて美術が成り立つ時代であったと。それは日本が初めて海外(国外)に目を向けて美術作品を作った時代でもあったのです。このことを知るだけでも十分に価値があると思います。

※エピソード満載の編集後記もどうぞ。

 

『日本美術全集』関係者インタビュー 第三回一坪泰博デスク(前編)

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『日本美術全集』16巻函

2013年10月27日に刊行された『日本美術全集』第16巻「激動期の美術(幕末から明治時代前期)」の編集を担当された小学館の一坪泰博デスクにお話を伺って来ました。

これまでの日本美術のカテゴリーでは取り上げられてこなかった(無視されてきたと言っても過言ではない)明治時代の工芸作品や、河鍋暁斎、柴田是真、狩野一信といったメインストリームに属されなかった絵師に焦点を当てた『日本美術全集』第16巻「激動期の美術」。

人口に膾炙するメジャーな作品を丁寧に紹介することを、ある意味で使命とする数ある美術全集本の中でも今回の第16巻は極めて異色な存在です。まさにゼロから作り上げた一冊、販売数も好調とのこと。果たしてどのようにして作られたのか、編集担当である一坪氏にその裏側を伺って来ました。

 

Tak:存在しなかった新たなカテゴリーの一冊をゼロから作り上げたわけですが、いつごろから具体的な準備に取り掛かられたのでしょうか。

 一坪:2012年4月に責任編集者である山下裕二(明治学院大学教授)先生を筆頭に、黒川廣子(東京藝術大学准教授)先生、古田亮(東京藝術大学准教授)先生、塩谷純(東京文化財研究所)先生ら若手研究者の精鋭たちが集合し初打ち合わせを行いました。

Tak:小学館の会議室で顔を突き合わせてさぞや難しい議論が交わされたのでしょうね。

一坪:それがですね…皆さんそれぞれお仕事があるので、平日の夜に集まって頂きますとまず夕飯となるわけです。仕出し弁当を用意しそれを食べてからの会議となると、時間もかかり、それに効率もよくありません。

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右:Tak 左:一坪泰博デスク 

Tak:「仕事」⇒「仕事」のコンボに仕出し弁当ではテンション下がりますよね。

一坪:そうなんです。そのどんよりした雰囲気をいち早く察知したのが、山下先生でした。これでは非生産的なので、もっとワイワイ自由に意見が出せる場にしてくれとリクエストされました。

Tak:「潤滑油」を遠まわしに求めてこられたわけですね。

一坪:小学館のある神保町には中華料理店が多くて。次から打ち合わせのあとは、そこへ繰りだそうと全員一致で決まりました。ササッと打ち合わせを済ませたあと、おいしい料理と少々の?アルコールが入るとさらに本の構成の話しは盛り上がり、活発な意見が次から次へと出てくるようになりました。

Tak:そういった会合を何度くらい重ねたのですか?

一坪:皆さんお忙しい先生方なのでスケジュールを合わせるのが大変でしたが、それでも月に一度のペースで合計12回は掲載作品選出会議を行いました。

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 五姓田義松に関するページを広げた様子

Tak:聞くまでもなく、その場の雰囲気は良かったのでしょうね。

一坪:そうですね。山下先生はいつも一歩引いたポジションにおられ、40代の先生たちが活発に「これは載せたい」「こんな作品もある」といった風にワイワイやりながら進めたので、良いムードで作品が選出されました。

Tak:掲載する作品が決まるとすぐ原稿の執筆に入らないと実際にスケジュール通りに刊行できませんよね。

一坪:23名の解説執筆者の原稿の集まりは早かったですよ~しかも質の高いものが多く編集者としてはとても助かりました。

Tak:そうなると苦労することは無かったのでは?

 一坪:確かに原稿では先生方には楽をさせてもらいました。でも、紙面のレイアウトには苦労しました。早い段階からパソコン上でレイアウト組をしていたのですが、全集本はサイズ感がつかみにくいので、弊社の講堂の床にカラープリントした紙を並べ、あそこはこっち、それはここといった具合にパズルのように左右上下移動させながらレイアウトを考えました。

Tak:それは大変…と思いつつも何だか楽しそうな作業ですね。

一坪:身体を張って、デジタルとアナログを融合させつつ構成にあたりました(笑)

後編へ続きます。) 

 

 

『日本美術全集』関係者インタビュー 第二回 髙橋建編集長(後編)

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2013年8月28日に刊行された『日本美術全集』最新刊「東大寺・正倉院と興福寺(奈良時代2)」の編集を担当された小学館の髙橋建編集長にお話を伺って来ました。

前編では正倉院宝物について伺いましたが、今回は、『日本美術全集』には書かれていないこぼれ話し的なことや、知っておくと本を見る時や、実際にお寺で仏像と対面する際に、周りに自慢できちゃうような、とっておきのお話を伺ったのでご紹介します。

Tak:東大寺法華堂(三月堂)にある仏像の修復後の新しい写真が『日本美術全集』最新刊「東大寺・正倉院と興福寺(奈良時代2)」には収められていますが、そもそも修復はどこで行われるのでしょうか。

高橋:奈良国立博物館の中に、修復を専門に扱う「公益財団法人美術院 国宝修理所」の工房のひとつがあり、そこで行われます。

Tak:東大寺からだと道を挟んで目の前なので運搬も楽そうですね。

高橋:いえいえ、それが想像以上に大変な作業なのです。ご存知のように東大寺法華堂(三月堂)に安置されている不空羂索観音立像をはじめとする諸仏はいずれも乾漆像(麻布と漆を用いて作られた仏像。)ですので、とても弱く、ちょっと何かが当たっただけでも欠けてしまう危険性をはらんでいます。

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東大寺法華堂内部を掲載したページ

Tak:そんなに弱いものですと、抱えて運ぶなんて危険で出来ませんね。

高橋:お、恐ろしいことを…とても無理です、そんなこと。

Tak:実際はどのようにして運搬しているのでしょう?

高橋:まず、仏像をレーザー3Dスキャナーで立体スキャンします。その測定データを用いて精密な発泡スチロール製の型を作ります。

Tak:えっ!レーザー3Dスキャナーですか?!まさか仏像のお話を伺いに来て、最先端のハイテク技術が出てくるとは思いもしませんでした。

高橋:それだけではありません。テクノロジーの発達は奈良時代につくられた文化財を後世に伝えるために今や欠かせぬものとなっています。思わぬところで思わぬ科学技術に出会ったりします。

Tak:サイズぴったりの発泡スチロールに収められた仏像たちが運ばれた美術院の工房では、どのような修復作業がなされるのでしょうか。

高橋:ケースバイケースですが、虫食いは無いかとか、彩色の汚れた箇所は無いかとプロの目で確認した後に、たとえば乾漆造の技法を用いて穴埋めや補修をしたり、水分を含ませた薄い和紙を仏像に貼り付けたりなどして表面の汚れを除いていきます。

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仏像の彩色

Tak:とてもデリケートで地道な作業ですね。

高橋:こればかりはテクノロジーを使うわけにはいきませんからね。熟練した「人の手」が頼りとなります。

Tak:ところで、修復後は、ぱっと見ても違いが分かるものなのですか。

高橋:監修の浅井先生は修復後の仏像をご覧になり「エステサロンで、フェイシャル・クリニックをしたような、すっきりとしたお顔になり、男前度を増したな~」なんて仰ってました。

Tak:『日本美術全集』に掲載されている写真からもそれは分かりますね。 

高橋:今回は特に修復が上手くいったと伺い聞いています。天平時代の乾漆像や塑像に施された金箔や極彩色の文様もかなりはっきりと目視出来ます。

Tak今回掲載されている東大寺法華堂(三月堂)の仏像たちのなかには手になにも持っていない状態のものもありますが…

高橋:これも大きな見どころの一つでして、修復を終えてすぐの、まだ後世につくられた持物(じもつ)を本体から外したまま状態で撮影した画像で、通常では見ることができません。

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持物を持たない状態の仏像

Tak:何も手にしていないと、全体的に一見、不安定な感じを受けますね。

高橋:確かにそうかもしれません。しかし、持物でバランスを取ったり、仏像を支えているのではなく、仏像自体だけでしっかりと自立しているバランスの良さが、むしろ際立って見えてきます。これだけのダイナミックな動きを表現したくて、この技法にしたとも思えるほどです。

Tak:不空羂索観音立像を中心にしたお堂全体もすっきりした印象をこの写真から受けます。

高橋:お堂に戻した直後ですので、まだ最低限度の荘厳(飾り)しかなされていません。こんな姿はおそらくもう二度と見られません。また、向かい側の壁面を外した状態で撮影されたので、この全体写真のような見え方は実際にお堂へ行っても見られない貴重なショットです。

Tak:この他に今回の『日本美術全集』での見どころはありますか。

高橋:これは少々マニアックなものとなりますが、年表の中に軒瓦の変遷を拓本に基づく画像で入れました。

Tak:どうして軒瓦なのですか?

高橋:ずばり言うなら、建物や仏像は火事で焼失してしまっても瓦は焼け残ります。よく展覧会で軒瓦が展示されていますが、あれは実はとても重要な歴史的な資料なのです。 

Tak:面白そうですね、もう少し詳しく教えて下さい。

高橋:すくなくとも天平時代においては、軒瓦は作られた時代がはっきりとしているほぼ唯一の史料と言っても過言ではありません。天平時代の文字資料は、おおかれすくなかれ後世に書かれたもので、常に信憑性に問題があります。それに対して軒瓦は、製造年代によりその様式がはっきりと分類出来ます。実証性を高めるのに非常に有益なのです。

Tak:最新のテクノロジーを用いることにより、これまでの定説とのズレも生じたりするのでしょうか。

高橋:先ほども申し上げましたが、テクノロジーの発達は目を見張るものがあります。建築に用いられた木材の年に関しては、年輪・年代測定法を用いればきわめて精度の高いデータを出せます。そのデータから判断する限りにおいては、これまでの様式論から類推する制作年代よりも、もっと早くにつくられたと考えざるをえない仏像や建物も出てきます。 

Tak:そうした読み直しも研究者で意見が分かれて大変そうですね。

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軒瓦の変遷が理解できる年表

高橋:そうですね。他の資料も参考にして議論を重ね、新たな定説を構築していくのが今後の大きな課題となります。1200年も前の古い古い仏像たちのことなど、すでにすべてが判明していてもはや新しい発見や議論などないと思われるかもしれませんが、実はきわめてホットな議論が交わされている真っ最中なのです。そして、これからもまだまだ新しい見解が出てくることでしょう。この意味で、天平の仏像たちは、美術史が過去の学問ではなく現在も生きている学問であり、その現場は思いのほか生々しいことを、まざまざと教えてくれるのです。

 

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高橋編集長

※高橋編集長は小学館に入社して以来、美術畑一筋で来られた異色の人材だそうです。お話を伺っていると、専門的な用語が日常会話の如く自然と口をついて出てきます。聴き手(自分)にそれに見合うスキルがないので、首肯するだけで精一杯でした。お忙しい中お時間作って頂きありがとうございました。

 

※高橋編集長によるエピソード満載の編集後記もどうぞ。

『日本美術全集』関係者インタビュー 第二回 髙橋建編集長(前編)

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左:高橋編集長 右:Tak

2013年8月28日に刊行された『日本美術全集』最新刊「東大寺・正倉院と興福寺(奈良時代2)」の編集を担当された小学館の髙橋建編集長にお話を伺って来ました。

Tak:「東大寺・正倉院と興福寺」の巻を担当するにあたり、心がけた点を聞かせて下さい。

髙橋:カメラマンも撮影場所も違う一枚一枚の写真を、一冊の書籍にした際に統一感が出るよう編集するのに最も神経を使いました。

統一感というのは、言い換えれば「時代感」とも言えます。ページをめくるたびに、今からおよそ1300年前の天平時代の時代感覚を味わっていただければと思いながら編集しました。

それにより、単に写真が並んでいるカタログではなく、あくまでも書物であることがはっきりと分かっていただけるのではないかと自負しています。

Tak:カタログ的にならぬように編集するために、具体的にどのような点に気を遣ったのでしょうか。

髙橋:仏像のような立体物は、色味の統一が絵画以上に大変です。さり気なく、当たり前のように(目の前に仏像があるかのように)見ていただきたいとの願いとともに、何度見ても飽きないような作りになるよう心がけました。

具体的には、雑誌で使う写真は、インパクトを重視します。パッと見が大事です。ただしそれは一過性のインパクトであり、あまり記憶に留まりません。

雑誌ではなく書籍である『日本美術全集』は、一過性の見た目ではなく、ジワジワ来るような写真を選びました。

Tak「ジワジワ」って良いですね。

髙橋:ジワジワ来る写真とは、何年か後に見ても「いいな~」と思える写真でもあります。毎日見ても飽きませんし、思いついた時に取り出して見ても新鮮さはそのまま伝わって来ます。

「古さを感じさせない写真」を撮る腕の立つ写真家と同じような心構えで、写真を選びましたので、どっしりとした記憶に残る一冊となっています。

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正倉院宝物のページ

Tak:今回、仏像以外に正倉院宝物にページ数を割いていますね。これはこれで違ったご苦労があったのではないかと。

髙橋:はい。現在整理済みのものだけでも約9000点という膨大な数の正倉院宝物をどのように紹介するか、正直、頭を悩ませました。

これも先ほどの仏像と同じように、カタログ的なものになりがちですので、そこだけは留意し、なるべく天平人の生活感覚が伝わるような並びにしてあります。 

Tak:天平人の生活感覚と言ってもいまひとつピンと来ませんが…

髙橋:具体的には、「用途」によって分類することで、215ページの写真にあるような当時の生活空間が体感出来るように編集しました。

既存の書物によくあるような製作技法やジャンル(絵画、工芸など)によってではなく、本巻では人と「もの」との関わりに注目して分類し、並べてあるのです。すなわち、礼拝や供養・荘厳に用いたもの、楽舞や弦楽に関わるもの、室内で身辺に置いて用いたもの、容器として用いたもの、そして装飾の粋をこらしたものといった具合です。

たとえば刀子は、どのように用いるかによって、本来の刃物としてだけではなく、文房具であったり、アクセサリーであったりするわけです。

これまでと紹介の仕方が違いますので、同じ宝物でも新鮮な気持ちで見られます。絵画展でも展示方法や並べ方で見える感覚が違いますでしょう。

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215ページ 

Tak:展覧会を鑑賞する気持ちでというのはとても新鮮ですね。

髙橋:天平美術に関しては浅井和春(青山学院大学教授)先生が、正倉院宝物に関しては杉本一樹(宮内庁正倉院事務所長)先生が、まさにキュレーター感覚で作品選びと構成を考えて下さいました。さながらページ上で「天平美術展」や「正倉院宝物展」を展開しているかのようです。

後編へ続きます。)

 

 

 

『日本美術全集』関係者インタビュー 第一回 清水芳郎編集長

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nakamura_shimizu_1_small.jpgTak:まず、ずばりこの電子化の流れや出版不況の風吹く中、なぜ故20巻からなる『日本美術全集』を出そうと思ったのですか?

清水:いくつか理由があります。一つは21世紀に入り日本美術の展覧会が増えただけでなく、これまで日本美術に興味を示さなかった若い層の方も展覧会へ足を運ばれるようになり、日本美術人気が高まってきたにも関わらず、それに見合う日本美術全集がここしばらく刊行されていなかったことです。1990年に講談社さんから『日本美術全集』が出てから、もう20年以上経過しています。

二つ目の理由として、西洋絵画に比べ日本美術の場合、展示期間が限られたり、または、お寺さんが所蔵していて普段はお目にかかれないようなものも多くあります。つまり実物を見たくても見られない作品が多くあります。それをこの全集本が補えればと思いました。

三つ目の理由は、あくまでも内輪の理由なのですが、小学館は、平成24年(2012)8月8日で創業から90周年を迎えることが出来ました。その節目の年の記念として『日本美術全集』が出せることになりました。90周年記念の年に当たらなければ刊行は無理だったでしょうね。それと社長の理解があったからこそです。

Tak:なるほど~それにしても電子書籍がじわじわと幅を利かせてきているこのご時世に敢えて紙媒体でこれだけ大掛かりの全集を出されたのは、何か理由でもあるのですか?

清水:これはあくまでも自論のようなものですが、WEBでの鑑賞は日本美術に適していないように思えるのです。サイト上で日本美術を見てもどうも心中深くに残りません。いつでも閲覧可能なものは、結局それ以後一度も見ないことがあるのではないでしょうか。
それに比べ、紙媒体は例えば実物の作品を前に「あの本の何ページくらいに、あの若冲の絵があったよな~」的な印象が残るものです。それは何より、本は繰り返し見るからこそだと思います。要はこの繰り返し見ることの大切さをこの全集に託したのです。

Tak:それにしても、ちょっとサイズ的に今の住居環境を鑑みると大きいように思えるのですが...

清水:『日本美術全集』はB4サイズあります。この大きさは最低欲しかったものです。欲を言えばもっと大きく例えばA3サイズでもと思ったほどですが、さすがにそれはやり過ぎなので、B4にしました。絵は大きな図版で見たほうが良いではないですか。特に精緻に描かれた日本美術の場合。

Tak:もう少し、突っ込んで聞いちゃいますが、価格が15000円というのは高くないですか?

nicibi_all.jpg清水:正直なところ当初は10000円で出したかったのですが、このクオリティーを保ち出す為に原価計算するとどうしてもそれでは厳しいのです。1966年に『原色日本の美術』を小学館が出してから約半世紀が経過していますが、当時は第1回配本が約30万部も売れました。しかし現在は残念ながらその十分の一も販売は期待できません。

Tak:数字ばかり聞いていて申し訳ないのですが、全20巻という数は?

清水:当初の予定ではもっと多く全25巻もあったのです。しかし上司からさすがにそれは多すぎるだろうと言われ減らしました。20巻でも、業界内からも「よく、出しましたね」と半ば好奇の目で見られたりします。

Tak:これだけの全集本ですから、さぞかしスタッフの数も多いのでしょうね。

清水:それが...編集担当が6人しかいません。これも昔だったら余裕で倍の人数はいたのですが、仕方ないことです。全20巻ですから一人が3,4巻を担当することになります。

Tak:場が和んできましたので、とっておきの質問しちゃいますね。ずばり、売れ行きはどうですか?

清水:まあまあの手ごたえと言ったところでしょうか。でも正直、もう少しは売れて欲しいといのが本音です。全巻揃ったら買うという方もいるので、まだまだ頑張らないといけません。

Tak:本は告知が難しいとは思うのですが、PRは何かなさっていますか?

清水:新聞広告が中心です。しかし、これだけでは全くもの足りないと思っています。WEBでのPR展開が出来ていない状態です。なるべく多くの方に実際に手にとって、その良さを知ってもらいたと思っています。展覧会会場等にも今後も置いていく予定です。2016年2月に最終巻が刊行さるので、徐々に整えていければよいと考えています。

Tak:清水編集長ご自身が楽しみにしている巻はありますか?

清水:最終巻「日本美術の現在・未来」(1996~現在)はとても楽しみです。まだ現在進行中で作品を選定中です。どんな作品が掲載されるか、楽しみですし、予定調和的に終わらせたくないと思っています。時間経過を見極めながら相対していけることはたまらなく楽しいことです。

Tak:最後にこのインタビュー記事を読まれている皆さんに一言お願いします。

20130830_demae_2_small.jpg清水:まずどの巻でも良いので、好きな作品や時代の巻を是非手に取って下さい。紙媒体を通して好きな画家や仏像など、日本美術の豊かさや広がりを味わってもらいたいです。全巻揃えなくもよいので、好きな巻だけでも自宅で繰り返し見てもらいたいです。(※『日本美術全集』は1巻からでも購入可能です。「選べる全集」です。)

最終的に私の願いは、日本美術と向き合うひとが一人でも増えてくれることです。『日本美術全集』で見て、最終的には実物を見に行ってもらえたらこんな嬉しいことはありません。まさに編集者冥利に尽きます。