美を楽しむ

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 2013年9月に始まったこのブログも、『日本美術全集』全20巻の刊行を終えるため今回をもって終了する。長期にわたって愛読して下さった皆様に深謝の意を表します。

 最終回は私の身の廻りの話をしよう。

 2013年3月に東京・板橋区立美術館を定年退職し、4月から萬美術屋の屋号で活動を始めたのはいいのだが、打合せ場所に困った。

 近所の喫茶店での打合せが一日に何回も度重なると、飲み物にも飽きてくる。

 ちょうど退職を機に家の外壁修理をしようと計画していたので、一階の駐車スペースを潰して壁で囲って打合せ場所を造った。

 萬美術屋打合せ処と銘打ったのはいいが、机と椅子だけではガランとしている。

 それなら壁に掛軸でも掛けようかと思ったが、毎月掛けかえる程の本数がなく、その後何本か縁のあるものを買って、ようやく今年になって、毎月変えられるようになった。

 その中では、福岡の元気印、亀井少琹(かめい・しょうきん)の作品や狩野安信(かのう・やすのぶ)の戯画的作品「布袋・寿老首曳図(ほてい・じゅろうくびひきず)」などが入手できて嬉しい。とりわけ3月に飾る筆者不詳「伊勢物語・河内越図(いせものがたり・かわちごえず)」は随分昔に買ったものだが、思い出深いものだ。

 1994年秋に「日本美再発見・振り向けばジャパネスク」展を島根県立博物館で開催した折、その準備のため松江入りした私は、松江の友人T氏の案内で骨董屋を数件廻り、この作品に出会った。

 描かれているのは相思相愛の幼なじみと一緒になった男が、やがて河内の国に女ができて通うようになった。ところが女が何の疑いもなく送り出してくれるので男がいぶかしみ、出かけるふりをして前栽に隠れて様子をみた。すると女が身なりを整えて縁先に出て「風吹けば沖つ白浪たつた山夜半にや君がひとりこゆらむ」と男を案ずる歌を詠んだので、男は恥じ入り河内へ行かなくなった、という『伊勢物語』第23段に因んだものだ。

 この縁先の女性の部分を切り取って出来たのが東京国立博物館所蔵の「緑先美人図」であり、後に大流行する一人立美人図の源流となった、というのが畏友奥平俊六(おくだいら・しゅんろく/現大阪大学教授)氏の説だ。

 つまり、寛文美人図(17世紀中頃に流行した一人立美人図の総称)のルーツとなるのが本図という訳だ。これは重要な作品なので是非後世に残さなくてはと思ったが、本作は京都で制作されたと思われるので、板橋区立美術館での当時の購入範囲(江戸地方の絵画)に入らない。そこで思い切って自分で買うことにしたのだ。

 この骨董屋には、当時私が探していた染付目高文皿10枚もあったので同時に入手した。

 ところがこの目高文皿が、同行した荒川正明(あらかわ・まさあき/現学習院大学教授)氏らの目にふれ、そのうちの5枚を分けることになった。荒川氏の提案でこの皿の文様を使って陶製のマウス・パッドを作り、グッズとして巡回会場(東京・日本橋三越)で販売することになる。

 現在、そのマウスパッドを使っているのだが、「河内越」の掛軸を飾ると、当時数人の仲間で展覧会を企画しては地方巡業していた頃を懐かしく思い出す。掛幅も皿も充分生活の中で楽しまれている。

今回のおすすめ作品はコレ!

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「伊勢物語・河内越図」江戸時代・17世紀初期

浮世絵一人立美人図のルーツである寛文美人図の更なるルーツとなる作品。本文中にある萬美術屋打合せ処は、安村氏がテレビ出演されるときにも使用される。なので、テレビで安村氏を見かけたら要チェック。背景の壁面に本作がかかった様子を見られるかもしれない。